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サンタが世界を盗んだ日 2008
むかしむかし、あるところとは関係のない、とある国の、とある街のどこかに
独りのミスボラシイ身なりをした男がいました。
水も 大地も 空気もあって 春になると花を咲かせる樹木も
そういう草花も生える野原から遠い海辺の波や小川のせせらぎと戯れる魚も
その魚を食べるクマや鳥たちも、そうした動物たちの糞【フン】に涌きかえる微生物も
またそれを食べたり探したりする昆虫や、ヘビ やカエルも
この広い世の中には たくさんの生き物がいて
そこには人間という生き物が住み飼いする場所もあれば
誰が決めたわけでもない定めに従って生きる大勢の者によって営まれる、
“ヒトの世”というものがありました。
人の世には、頭のイイ人もいたり、気の利かない利口ではない人もいたりと
お金に余裕がなくても働く必要ない人も、日夜、一生懸命に働く人も、働かせてもらえない人も
それはそれは様々に、産まれながらにして いろいろな能力を兼ね備えた人間が
それぞれに自分自分のできることをできる範囲でやって生きていました。 ですが
その仲には、ヒトサマが住んでいる建物に火をつける者や
誰に断ることもなく平気で他人の命を奪ってしまったり、
ヒトサマの持ち物を勝手に持ち去ってしまうような、
どうしても自分以外の者に迷惑をかけてしまう者も生きていました。
そのうちの一人が、とてもミスボラシイ格好をした独りの男、泥棒でした。
泥棒は、ある冬の寒い夜、大きな布袋【ぬのぶくろ】を肩から提げて、
月灯り【つきあかり】もなく、まっくら闇の夜道を歩いていました。
前日から降りつづいた雪が積もった人里でしたので
泥棒は降り積もった雪を上手に利用して
まんまと見知らぬ家の屋根へ昇り
その家の中の暖炉へつながる煙突の中へ勝手に入って行きました。
既に家主も寝てしまい、静まり返る煙突の中も真っ暗でしたが、煙突なので
火の消えた暖炉の中から首を出した泥棒の顔も 手足も
その身体じゅうが煙のススで真っ黒になっていました。
泥棒にとっては、そういう姿になればなるほど暗闇の中に潜むことができたので
自分がこれから行おうとする仕事にも好都合でした。
ですが、人の世の常には必ず誰もが 肉体あって生きているとリスクを伴うものでした。
そして必ず 世の中の善いことも兇いことも
それらすべてを どこかで誰かが しっかりと見ているように
時の流れというものは
人間ひとりひとりを本来の創られ方の役割から外れないように流れていました。
そういう意味で、このときの泥棒にも
その泥棒という仕事をして生きていくうえで ひとつ問題がありました。それは、
煙突の中から暖炉へ這い出てきて
まんまと真っ黒な状態に汚れたままの格好で家の中を歩き回る、その床の上には
靴の裏についた煤が足跡になって残ってしまいました。
まさにそれは、
「ここに泥棒が来ましたよ!」
ということを知らせるようなものでした。
その夜、泥棒は、その家の中から たくさんの高価な品物を盗み出すと
夜が明ける頃には、それを詰め込んだ袋を持ち歩いて
その大きな大きな袋の中の物を売り捌いて お金に換えるための お店を捜し廻りました。
ですが結局、泥棒に入った家の中の床へ、くっきりと残された靴の足跡によって
「それはいったい、誰の足跡だったのか?」
ということから、世の中の大勢の人々に バレテしまい、
それまで泥棒をやっていた男は、独り、牢屋へ放り込まれてしまいました。
ブタ箱のような牢屋には、簡単に造られたトイレはありましたが
テレビもなく、ストーブもなく、それはそれは寒い思いをして
そこで何年も過ごすことになりました。
それまで 産まれながらに泥棒として育って生きてきてしまった泥棒にとって
その牢獄生活はとてもつらく、大変なものでしたが
いつしか泥棒の顔には髭も伸びて、寒さに耐え凌いだ肉体には
凍てついた海の魚のように皮下脂肪がつき、
一見、見た目には決して ミスボラシイ姿には見えないほどの貫禄になりました。
そんなある日、その牢屋の鉄格子の向こう側へ
巷の とある教会から、独りの神父さんがやってきました。そして泥棒に訊ねました。
「おまえが盗みを得意とする泥棒という者かね?」
「いかにも、オレは泥棒さ。ものごころついたときからヒトサマの家へ忍び込んで
これまでも様々な物を盗んできてやった。」
「そうか。で、盗みを得意とする泥棒とやら、おまえは今日まで何を盗んできた?」
「生身の人間の命以外なら、なんでも…さ。 時計や宝石、高価な家財道具や毛皮や鞄、
持っていた袋の中へ納まる物なら どんな物でも、ありとあらゆる物を盗んでやったぜ。
ただな。世の中、オレのような人間もいれば、どんなに真面目に働いても貧乏のままで
ヒトサマの物を盗む度胸や性分どころか、そういった悪しき道へ足を踏み入れるなんて
ぜったいに出来ない奴もいる。利口なのか馬鹿なのか、そんなことは関係ない。
そこにはもう何もかも 盗まれるほど高価なもんなんてなくても
朝、自分に用意された仕事へ出かけるときは きちんと戸に鍵をかけて
月にわずかなオボシメシで必死に生きてる連中さ。尊敬するね。
奴らときたら、自分の食卓の目の前にある安モノの皿でも
それを家宝のように大切にしてる者までいる。
…いつだったか。
別の街で その日のオレは どうしても喰う物に困って さびれた一軒屋へ入ったのさ。
そのとき この目で見たよ。そういう皿をな。
あれだけは どうしても盗めなかった。オレとあろう者がな。
それ以来 オレは決して、カネ持ち以外の棲家は狙わなくなったよ。」
「ほう、それで、今まで盗んだ物のうち、いちばん高価な物はなんだったかね?」
「そうさなぁ…。王室の赤いカーテン。
…ありゃぁ見事だったぜ。これまで最も高価な代物だったかもしれんな。」
「そうか。」
そう云い残して、どこかの教会から のこのこやってきた神父は立ち去ってしまいました。
翌日、また、泥棒のいる牢屋の前へやってきた神父は
大きな包みを持ち運んで、それを泥棒の目の前で広げてみせました。
そこには、昨夜、泥棒が神父に告げた物と同じ価値の 高価な赤いカーテンがありました。
「“いましめ”だ。」
神父はそう云うと、街から連れてきた洋服の仕立て屋に頼んで
そのカーテンを使って一着の服を拵えさせ、それを泥棒に着せました。
「今日からおまえは、これを着て外を歩き、自分の思うがまま、自由に生きなさい。」
こうして泥棒は牢屋から出ることができましたが
いつ誰が見ても判るほどの鮮やかな赤い服を着ていたので
どこでどんなことをしても目立ってしまい、
産まれながらにして泥棒として産まれた泥棒という職業に就くことはできなくなってしまいました。
「さぁ、困ったぞ。オレはいったい、これから何をして生きればいいのか…」
つい昨日まで泥棒だった男は途方に暮れて
いつしか 街はずれの森の中を歩いていました。
するとそこへ、何頭かのトナカイの群が通り過ぎました。
仕事もなく 住む場所もない赤い服を着た男は、お腹もすいていたので
そのトナカイを捕まえて食べようとも想いましたが
野生に生きるトナカイも馬鹿ではなかったので
そんな目立つ服を着せられた男に捕まることもなく、どこかへ逃げてゆきました。
とうとう男は、凍りついた雪道で倒れ、そこで眠ってしまいました。
やがて、男の魂が肉体から抜けると、人の世に念いを残した男の魂は
次にそこを通りかかる肉体を持つ人間を待ち望みました。
それから何年も何年も月日が経過した ある日、独りの裕福な老人が
その森を抜けた街の入口へ差し掛かるところを歩いていました。
「おい!」
老人は、どこからともなく聞こえてきたような声に気づき、そこへ立ち止まりました。
「誰か今 わたしを呼んだかね?」
「ああ、呼んだとも。オレは あんたの肉体が必要だ。」
「誰だか知らんが、失礼な奴じゃな。名前も名乗らず、随分と急な話じゃないか?」
「いや、とくに急いでいるわけじゃないんだが、
あんたの命の灯が消えかかっているのが視えてしまってな。
もう何年もの間、ここで待っていたんだが、オレも疲れた。
ただ、もう一度だけ
人間の肉体を持って生きていたときのオレが思い残したことをやっておきたい。
オレには今あんたが生きてる世界に用があるんだ。」
「ほう、なんじゃね?」
「煙突の掃除だ。」
「嘘だね。そんなことでも一生懸命にやっていた人間が悔いを残して死ぬはずがない。」
「またバレタか…。よし、正直に云おう、泥棒だ。」
「フン、盗みか。お断りするね。あいにく、わたしの人生には縁のない仕事だ。」
「わかっておる。だからこそ頼みたいのだ。オレはもうずっと以前に
この道端でくたばったロクデナシなんだが、
あんたの残された人生の一部を遣わせてもらって
あんたと一緒に次にまた、この世の中へ出てくる までに
成し遂げるべきことを成し遂げておきたい。」
その視えない存在の言葉に老人は、しばらくの間、黙っていましたが
「なるほど。おまえさんが わたしの人生の結末に相応しい最期を用意してくれるというのかね?」
「そうとも! …あんた、やっぱり利口な男だな。オレも今の今まで待った甲斐があったぜ。」
「して、どうしたいんじゃ? これもなにかの縁だ。くわしく訊かせてもらおうかのぉ。」
「よし、ズバリ云わせてもらうが、この契約は命の問題だ。そして今のあんたなら理解できるはずさ。
今日まで あんたがどんな哀しみや辛い想いで苦しんできたとしても
そんなことはどうだっていい。オレの知ったことではない。でも、
今ならオレをその中へ宿すことで、すべてを清算して、悔いのない死に様を用意できる。」
「…こんな老いぼれになった肉体でもか? 保証は あるのかね?」
「あるとも。あんたが築きあげてきた財産もすべて、世のため人のために使い果たして
それがあんただけでなく、大勢の者の心も豊かな気持ちにさせて
間もなく あんたが死ぬまでには、この世に未練のこさずキレイにケリをつけられる。
最近のあんたは、それを望んでいるんだろ? どうだ? 図星か?」
「そうさな。思い残すことと云えば、今の有り余るほどの財産の使い道もそうじゃが、
コレをこのまま この世に残して、わたしが死んだあと大勢の者がそこへ群がるように
醜く争う姿にはなってほしくない。」
「やはりな。そこまで解ってしまうオレを信用できるかどうか? それがこの契約の保証ということだ」
「おやおや、こりゃまた随分と勝手で乱暴な言い分だな。結局は わたしの肉体も盗むという考えで
おまえさんは根っからの泥棒らしい。」
「で、爺さん。覚悟のほうは いかがなものかな?」
「いいとも。おもしろい。おまえさんに託してみよう。ただし、痛くないようにやってくれよ。
この歳まで丈夫に生きてこれたわたしは今、こうみえても身体の方々にガタがきてる。
おまえさんが乗り移った途端にポックリ逝ってしまっても困る。」
「判ってるさ。巧くやるよ。」
「じゃ、頼む。」
「ありがとうよ。」
こうして老人の肉体は泥棒のモノになり、しばらくして、道に倒れていた老人を誰かが見つけました。
病院へ運ばれ、手当てを受け、一命を獲りとめた老人は
やがて、自分の残された命に成すべきことを覚り、ある日、ソリをひくトナカイを購入しました。
そして、誰からともなく “云い渡された戒め”の基に、赤い服を着て、白髭をはやし、
大きな布袋を肩へ背負うと、その中へ様々な品物を入れて
夜の街を徘徊しました。
不思議と、そのようなたくさんの荷物を入れた袋は
そのときの老人にとって、かつて何者かが背負った十字架のように重くもなく、
その軽い足どりで夜道を行く男は 爽快な気分でした。
ですが、老人の肉体そのものは既に年老いたモノだったので、
息も浅く、誰に気づかれる気配もないほど 静かな夜の中へ とけ込んでいました。
そうして、ある冬の晩、
赤い服を着た老人は、とうとう息絶えて、とある教会の前で死んでしまいました。
その安らかな寝顔には、
世界中の人間の誰一人として 成し遂げられないことをした者としての安心感が漂っていました。
すると、その肉体から抜けた老人は、赤い服を着たまま宙を舞い、
澄みきった夜の空気いっぱいの星空へ消えてゆきました。
人の世の暦では12月26日、未明のことでした。
おしまい。
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